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スウェーデンコラム「瑞筆」

第2回 コトバを学ぶ/島田晶夫

僕はスウェーデンに滞在したはじめの1年は英語を主として使い、残りの3年間はスウェーデン語を使って生活を送っていた。
実のところ語学は大の苦手である。中学・高校の英語の成績など人に自慢できるものではない。渡欧することが決まり、あわてて英会話教室に通ってはみたものの、ほとんど身に付かないまま、英和・和英・スウェーデン語の辞書を抱えて日本を後にすることになった。「何とかなるだろう」という思いもあって言葉についてはあまり深く考えていなかったのかもしれない。
もちろん僕はその後何度となく冷や汗をかくことになり、もっとまじめに勉強しておけば良かったな−と、つくづく後悔する羽目になった。

それでも最初の1年間は単語をつなぎつなぎ、ジェスチャーも交えてなんとか乗り切ることが出来た。しかし学校の授業は全てスウェーデン語であり、いくら回りの友人たちが英語で通訳してくれていても、そこにはやはり限界がある。何とかスウェーデン語をマスターしなくてはと本気で考えるようになり、2年目からは移民を対象にした国営の語学学校に通う事にした。
この学校はコンブックスと呼ばれており、大きな街には必ずと言ってよいほど設置されている。スウェーデンは人口の約1/10が移民と言われており、国としても積極的に移民を受け入れているという事情もあってこうした学校も整っていたのだろうと思う。
国からの補助金が学校に出されている為、この学校での授業料は無料、教科書も全て支給された。受講期間は1年。授業ではアルファベットの読み方に始まり、挨拶や簡単な会話、文法の使い分け、ボキャブラリーなど、日常で最低限必要な読み、書き、会話、全てが習得できるようにカリキュラムが組まれていた。

授業は週に2〜3日、朝8:00〜昼12:00までというペースで行なわれる。宿題もみっちり出されるため僕もずいぶん泣かされたものだ。カペラゴーデン(木工を習っていた学校)とのかけもち生活で「ゆとり」とはかけ離れた学生生活だったが、それでも言葉を覚えると世界も広がってくるという実感が楽しく、何とか1年通い続ける事が出来たのだった。
僕のクラスには他に、ドイツ人、ロシア人、トルコ人、ブルガリア人、ハンガリー人、中近東の人などが通ってきていた。お互い英語もよくしゃべれない者同士、はじめの内はギクシャクとして過ごしたけれど、授業が進むうちに次第にスウェーデン語を使って話が出来るようになり、授業が終わったあとで、コーヒーを一緒に飲んだり雑談をしたりということもあって楽しかった。

アルファベットを母国語でも使っている人たちは習得も早く、それでなくとも語学に対して苦手意識が強い僕は、落ちこぼれないよういつも気をつけていなければならなかった。唯一頼りにしていたスウェーデン語の辞書は、当時24,000円もかけて買ったものだったが、スウェーデン人の友人に見せてみると、50年以上も前の言葉がたくさん載っているという。そんなバカな、と裏表紙を見ても「平成二年第一版」とあり、とても古いようには思えなかった(思いたくなかった)。しかし、木の種類について調べることがあった時に、「楓 カエデ」を引いてみると、「ななかまど」となっていて、まったく違う言葉になっていたりするのだった。
頼りの辞書がこんな風なので仕方なく、「スウェーデン語→英語」「英語→スウェーデン語」の2冊の辞書を買い込み、さらに英和、和英のあわせて4冊の辞書を交互に駆使し、僕の宿題にかける気力と時間は相当なものであった。今考えてもため息が出るほどであり、できれば2度と経験しないで生きていきたいと願うのである。
しかしこうした苦労の甲斐あって、1年後にはラジオのニュースに耳がついて行けるほどになり、有珠山の噴火のニュースをタイムリーに知ったときには我ながら感動した。時にはDJの冗談に吹き出すことさえあり、それを見ていた僕の友人たちはみんな「信じられない」と大声で手をたたいて笑っていた。

ところで僕の住んでいたウェーランド島はスウェーデンでもかなりカントリーなところである。はっきり言えばものすごい田舎なのであった。当然言葉もいわゆる標準語ではなく、ウェーランド語(方言)であり、僕の話すスウェーデン語も知らず知らずにこのウェーランド語になってしまった。標準語と言われるスウェーデン語よりざっくりとした印象で僕は気に入っているのだが、苦労して覚えた言葉が訛っているという事実は、おかしいような寂しいような複雑な気持ちを僕に抱かせている。

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Columnist Profile
島田晶夫さん
1971年北海道苫小牧市生まれ。
1995年国立高岡短期大学産業工芸学科木材工芸専攻(富山県)卒業後、(財)スウェーデン交流センター(当別町)木材工芸工房の研修員として在籍。 1997年スウェーデン・カペラゴーデン手工芸学校 家具&インテリア科に留学、2000年スウェーデン・OLBY DESIGN(株)入社。 2001年帰国しDESIGN STUDIO SHIMADA設立とともに(財)スウェーデン交流センター木材工芸工房主任研修員として活躍中。
展覧会として、2002年第15北の生活産業デザインコンペティション入選・個展ギャラリーたぴお(札幌)、2003年グループ展(三越倉敷支店)、2004年2人展コンチネンタルギャラリー(札幌)、暮らしの中の木の椅子展入選。


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