スウェーデンコラム「瑞筆」

Column 島田 晶夫さん

03. スウェーデンでのカーライフ

僕はマニアとは到底言えないけれど、結構車が好きな方だと思う。特にクラシックカーや、70年代のドイツ車などには目がない方で、スウェーデンではそんなに多い数ではなかったけれど、珍しい車や1910年代の車のショーなどを見る機会があって楽しい思い出が多い。

日本と比べるとスウェーデンでは1台の車を修理し続けて乗る人が多いため、修理工場よりも中古のパーツを売る部品屋が多かった。苦手だと言う人をのぞいては、どの家でもみんなそれぞれの車を自分たちであちこち手入れしながら乗っていて、マシンに詳しい人も多かった。日本と決定的に違うのは、車検の安さである。1年に1度必ず検査しなくてはならないのだが、特に問題がなければ4000円くらいの検査料のみで済んでしまう。もし部品の交換だったり、修理が必要と判断された場合にも、それぞれが近くの修理屋に行き、必要な部品の交換や修理をしてから再検査を受けるというもので、合理的かつわかりやすいシステムだった。日本に帰ってきて車検の金額の高さに改めて驚いたのもそんなシステムに慣れてしまったせいだろうと思う。

スウェーデンで車というと、ボルボやサーブを思い起こす方が多いと思うけれど、実際には日本車もかなり走っており、トヨタはもちろん、スズキ・ホンダ・マツダ・日産・三菱・スバル、と主だった車はほとんどスウェーデンでも見ることが出来た。僕の友人などは今や日本でもあまり見ることができないホンダシビックの初期タイプのものを愛車にしておりいつも自慢されていたのだが、これが結構なオンボロで、いつどこで止まってしまうか分からないため、僕などはできるだけその車には乗せてもらわないようにしていた。今もこのシビックが元気でいることだけを願っている。

ところで、北欧で車を生産しているのはスウェーデンだけである。ボルボはトラクターのメーカーから今に至っており、サーブも車だけでなく戦闘機のエンジンも作っている世界を代表するメーカーである。どちらもエコロジーや、安全を追求したハイグレードの車を数多く生産している。実際、僕がスウェーデンで苦労の末手に入れたボルボのワゴンには、なんと20個近いエアバッグが装着されていた。事故の際にはどこに座っていようとも守り通すというエアバッグだが、実は一度このエアバッグを使用(?)してしまったことがある。ドンッと車をぶつけてしまった瞬間、もうあちこち至るところからエアバッグがこれでもか、と出てきて本当にびっくりした、ぶつかった衝撃よりもこのエアバッグの嵐にびっくりしたというのが実際の所だった。もちろん怪我らしい怪我もなく、全く問題もなかったのだが、この時の車内での自分はどのような様子だったのか、外から見ていた人がいたら教えて欲しいと今でも思う。

ところで日本の運転免許の質の高さと言うものをご存知だろうか。これも行ってみて始めて知ったのだが、実は日本の運転免許所の質の高さは有名で、日本の運転免許取得者はスウェーデンでは書類の提出のみですぐに運転が許されるのである。これはアジアの国の中では唯一日本だけに与えられているもので、僕も日本の免許で良かったなーとちょっと嬉しく思ったりしたのだが、一つだけ困った事にはスウェーデンのみで行なわれている交通ルールや、わからない道路標識が結構あり、運転していて「?」と思うことが多かった。今度スウェーデンで運転する機会があるときには、誰かにこの疑問をこっそり教えてもらいたいものである。

スウェーデンでの運転免許は10年間有効で、EUの国であればこの免許ですべてOKである。だが、違反に対してはかなり厳しく、多少の違反でもすぐに免許取り消しとなってしまうらしい。偶然かもしれないが、僕の周りでは取消処分を受けた人がいないため、どのくらいの違反でどうなるのかという詳しいことを知らないまま過ごしてしまったのだが、その分運転には慎重になっていたのではないかと思う。

一度友人達とフランスのシャモニーまでスキー旅行に行こうという話しになり、狭い車内に男4人、スキー道具にウェアやら何やらを詰め込んで、片道2000km、21時間のドライブをしたことがあった。感覚が違うんだろうと思うのだが、みんな苦もなく1000km、2000kmと言う道のりを走ってどこかに行こうとするので、慣れるまでは驚くことのほうが多かったけれど、慣れてしまえばいかにアウトバーンでとばせるかということを真剣に考えるようになってしまった。もちろん飛行機で行けばひとっ飛びである。はっきり言えば貧乏学生の最後の手段がこのロングドライブだったのである。一体何カ国通過したのやら、今思い出しても苦笑の旅であり、若かったな~とつくづく思うのだが、もし今またそんな誘いがあったりしたら思わず「行く行く!」と二つ返事してしまいそうな程楽しい旅であった。

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島田晶夫さん

1971年北海道苫小牧市生まれ。
1995年国立高岡短期大学産業工芸学科木材工芸専攻(富山県)卒業後、(財)スウェーデン交流センター(当別町)木材工芸工房の研修員として在籍。 1997年スウェーデン・カペラゴーデン手工芸学校 家具&インテリア科に留学、2000年スウェーデン・OLBY DESIGN(株)入社。 2001年帰国しDESIGN STUDIO SHIMADA設立とともに(財)スウェーデン交流センター木材工芸工房主任研修員として活躍中。 展覧会として、2002年第15北の生活産業デザインコンペティション入選・個展ギャラリーたぴお(札幌)、2003年グループ展(三越倉敷支店)、2004年2人展コンチネンタルギャラリー(札幌)、暮らしの中の木の椅子展入選。

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