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スウェーデンコラム「瑞筆」

第13回 ビザのほろ苦い思い出/島田晶夫

 僕は一年だけスウェーデンで働いた経験がある。カペラ(手工芸学校)の卒業を間近に控え、学校では卒業制作の展示会が開かれ、そのときに会場に見に来ていた家具製作会社の社長に、「よかったらうちの会社で働かないか?」と声を掛けられ、僕は即決で入社を決めたのだった。
 僕が展示したのはマイスターの登竜門と言えるギセルに合格したばかりのキャビネットで、かなりの苦心作であったから、これが就職のきっかけになったことに喜びもひとしおだった。

 ギセルというのは、スウェーデンのマイスター制度の言ってみれば第一審査のようなものである。スウェーデンのマイスター制度は国家資格で歴史も古く、試験に合格すれば誰でもなれるという物ではない。まずマイスターの資格を持っている人に3年の教えを請い、その後このギセルという審査に合格し、さらに7年間自分で工房もしくは会社を設立、経営し、その仕事だけで生計を立てられていると認められて初めてマイスターの称号を得ることが出来るのである。
 僕の学んだカペラでは木工科の先生は2人共にマイスターであり、彼らの元で3年間学ぶことにより、卒業制作としてギセルを受けるチャンスを与えられる。もちろんマイスターに興味ない(なろうとは思わない)学生はこのギセルを受ける必要はなく、独自に卒業制作を考え、製作することになる。
 ギセルは製図と製作の2つの科があって、その総合得点で合否が決まる。それぞれに期間の制限があるのだが、これは作るものの大きさなどにより決定され、僕の場合は製図に3ヶ月、製作には4ヶ月が与えられた。それだけ時間があっても、間に合うのかどうか不安になるほど実際の作業量は膨大であった。
 そうして完成した家具は審査が行われ、合格の知らせを聞いたときには、一緒にギセルを受けた友人達と抱き合って喜んだものだ。実はギセルを受けるチャンスはたった1度きりであり、一度不合格になったからと言ってまた翌年受けられるというものではなく、かなり厳しい試験だと言える。そのせいか先生方も一生懸命にサポート、指導してくれるのであるが、あまりのハードさに途中で音を上げる学生も中にはいる。僕なども製作に思いのほか時間がかかり、締切日の前日に徹夜で仕上げると言う、まさに薄氷を踏む思いで完成させたので、今思い出しても冷や汗が出そうである。

 さて、就職が決まり真っ先に僕がしなければならないことは、移民局にビザの申請を行うことであった。僕がそれまでに持っていたのは学生ビザであり、卒業とほぼ同時に切れてしまう。ビザ無しでの滞在はもちろん不法滞在と言う扱いになるので、今度は仕事をするためのワーキングビザを取得しなければならなかった。
このワーキングビザの取得というのが中々難しく、面倒くさいのである。移民や難民をほとんど受け入れていない日本ではちょっと理解しにくいと思うのだが、欧米各国ではこの外国人の雇用ということがしばしば政治的に大きなトラブルに繋がることが多々あり、そうそう簡単には取得させてもらえない。特にヨーロッパでは労働力不足であった時に、中東や東欧、アフリカなどから大量の移民を受け入れて、その不足を補っていたのだが、景気の低迷と共に失業者が増えると、元々の自国の国民がその失業の原因を外国人労働者に押し付けてしまい、結果として外国人労働者に対する嫌がらせや、不雇い運動、様々なトラブルへと発展し、政治も絡んで大きな問題となってしまっている。
 スウェーデンも例外ではなく、いくら会社が雇うと言ったとしても、国がそれを承認しなければ外国人は仕事をすることが出来ない。要は同じ仕事をするのだったら自国の国民をまずは優先して雇いなさい、と言う事であり、外国人が働くにあたってはきちんとした理由がなければ認めないということである。
 そんな訳で僕も何度も移民局へ足を運び、何故僕(本人)でなければその仕事が出来ないのか、あれやこれや理由を述べ、何とかビザの取得へとこぎつけた。僕の場合は、会社が将来的に日本でのビジネスを視野に入れていたため日本語の話せるスタッフを必要と考えていたこともあり、また僕がスウェーデンに来る前に働いていた日本での職場が僕を休職扱いにしてくれていたため、日本に戻っても身元が保障されているという風に解釈してもらえたことがビザの取得に繋がったようであった。

 ビザが下りれば今度はアパート探し、卒業、引越し、と怒涛のように毎日が過ぎていき寮で一緒に暮らしていた仲間達とも別れ、僕の新しい町での新しい生活がスタートした。
 僕の勤めた家具製作会社は決して大きい会社ではなかったかが、スヴェンスクフォルム(日本で言うグッドデザイン賞)を受賞した家具なども多く、かなりのアイテムを製作しており、学生気分の抜けていなかった僕にとっては突然忙しい毎日が始まり、戸惑うことも多かった。生産管理が厳しく、一人当たりの作業量、納期などがかなりシビアに決められており、慣れるまでは僕もかなり必死になって仕事をこなさなければならなかった。
 しかしこれはどこの国でもどこの会社でも同じことで、給料をもらって働く以上は当然のことではある。何か日本と違うことがあるとしたら、就業時間が朝7:00〜夕方4:00まで(これは木工作業所ではほとんどがこの時間帯を採用している)であるとか、よほどのことがない限り毎日定時で必ず帰るので残業というものが皆無であることや、FMラジオを聴きながら作業できる、ということだろうか。

 FMラジオに関しては、スウェーデンの木工作業所ではかなり一般的で、何も聞かずに作業するよりも効率が上がり、怪我も少ないという報告さえある。しかし機械の音で人の声すらよく聞こえない工場内のこと、ラジオを工場全体に聞こえるように流すというのは不可能なことなので、みんなそれぞれ「FMラジオ内蔵木工作業用ヘッドフォン」なるものを買い求め、それを一日中かけたまま作業していた。
 このヘッドフォンが中々の優れものであり、ラジオは聴けるし、機械の騒音(特に不快な高音)はシャットアウト、しかし話し掛ける人の声はちゃんと聞こえるというかなりの性能を有し、僕ももちろん愛用していた。こういったものを使う、使わない、というのは個人の自由で「音楽なんか聴かなくてもいい」と言う人はラジオの内蔵されていないヘッドフォンを使っていた。
 会社としては安全にかつ決められた作業をきちんとこなしてもらえれば、後は何を聞きながら作業しようが気にしないというスタンスで、こういうことにはまず口を出さない。
 残念ながらこのラジオ内蔵ヘッドフォンは、周波数が国によって違うため日本では使うことが出来ず、僕もスウェーデンを離れる時に友人にあげてきてしまった。日本ではラジオの内蔵されている木工作業用のヘッドフォンは販売されておらず、これは僕にとって非常に残念なことである。大変に良いものであるので、是非売ってもらいたいと心から願っているのだが、作業用のヘッドフォン自体の愛用者が少ない日本では難しい問題かもしれない。
 
さて、働き始めて約1年が過ぎる頃、何も無かったアパートにも一人でこつこつ作った家具がそろってようやく生活のスペースが出来上がり、仕事にも慣れ、さぁこれから!と思っていた矢先、移民局から不吉な連絡が来てしまった。それは「ビザの更新の不許可」という内容で、言ってみれば国外退去の勧告である。ビザは一度申請が許可されれば、2年目からの更新はあまり労せず許可される、というのがそれまでの僕が聞いていたことだったし、実際不許可になるということは全く僕の頭には無かったことで、寝耳に水とはこのことで、僕は大いにうろたえた。
 この年くらいからビザの申請、更新はさらに厳しくなったらしく、一度不許可と言われれば、その後は個人の力では如何ともしがたく、弁護士を雇って、移民局を相手に不許可の取り消しと再申請の手続きを法的手段で訴えることになるのである。僕はこのような手段は取らなかったから詳細なことはわからないが、これが結構大変なことらしく、もちろんお金も時間も必要となってくる。
 このときの僕は何だかすっかりビザの問題に疲れきり、そして日本に帰りたいと言う気持ちがふつふつと沸いてきて、「弁護士が」とか「訴訟が」とか、もうそんな気持ちにはなれなくなってしまっていた。
 スウェーデンに来て4年、勉強も仕事もまじめにがんばったと思うし、高い税金だって(実に所得の30%が税金である)払ってきたし、何も問題なく過してきたはずであったが、いざビザの問題を前にされると、自分が一介の外国人労働者でしかなく、こんなにもあっけなく仕事から放り出されると言う事実に僕は何だかやる気を失ってしまったのである。仮に今年はうまく更新できたとしても、また来年もそのまた次の年も、きっと同じ心配と疲弊が自分を襲うのだと思うと、本当にやり切れず、周囲の人はみんな引き止めてくれたのだが、結局僕は日本に帰ることを決め、ビザの期限と同時にスウェーデンを後にしたのだった。

 僕に限らず、海外で仕事をしている人にとっては、このビザの問題は死活問題であるだけに、多くの人が同じような目に遭い、苦労し、不安な思いを抱えているはずである。
海外で暮らす、仕事をする、というのは知らない人にとっては華やかにすら聞こえるかもしれないが、現実には厳しいことや大変なこともたくさんある、ということを僕は最後にお伝えしようと思う。
 楽しいことばかりが思い出される僕のスウェーデン滞在の記憶だが、このビザに関しては、こうして月日が流れても、いつまでもほろ苦い思い出として僕の心の中に留まっているようである。

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Columnist Profile
島田晶夫さん
1971年北海道苫小牧市生まれ。
1995年国立高岡短期大学産業工芸学科木材工芸専攻(富山県)卒業後、(財)スウェーデン交流センター(当別町)木材工芸工房の研修員として在籍。 1997年スウェーデン・カペラゴーデン手工芸学校 家具&インテリア科に留学、2000年スウェーデン・OLBY DESIGN(株)入社。 2001年帰国しDESIGN STUDIO SHIMADA設立とともに(財)スウェーデン交流センター木材工芸工房主任研修員として活躍中。
展覧会として、2002年第15北の生活産業デザインコンペティション入選・個展ギャラリーたぴお(札幌)、2003年グループ展(三越倉敷支店)、2004年2人展コンチネンタルギャラリー(札幌)、暮らしの中の木の椅子展入選。


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