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スウェーデンコラム「瑞筆」

第6回 カササギ、カモメ/遠藤能範さん

 新居の扉に到達するためには、人工石の螺旋階段を二回転半上る必要があった。双子妊娠8ヶ月の妻は恨めしそうに行く先を見上げ、手すりを握る力を強めた。急勾配でよく滑り、むやみに足音が響いた。
 程なく新しい職場の親方が手伝いにきてくれた。「申し訳ないけどここしか空きがなかったんだ」。曰く、典型的60年代の団地。3階建ての4棟がロの字に中庭を囲む形態が4ブロック続いている。
 おんぼろVOLVO745一台分の家財は、たとえそれが使い勝手のいいワゴン車だとしてもさすがに広めの1LDKには不釣合いで、閑散とした空気が部屋の中をこだました。実際不足している物はいくらでもあった。親方は手始めに最寄りの古物屋を教えてくれた。

 食卓の大きな窓から5mくらいのところに白樺が立っていた。まだすけすけで、新芽の膨らみすら確認できなかった。そこに二羽のカササギがやってきたのは、親方にテーブルを借りて食卓がそれらしくなった頃だった。住まいを定めたらしく、枯れ枝を拾ってきては積み重ねようとしている。しかし、彼らが特別不器用なのか、カササギが得てしてそうなのか、巣作りは一向に進まない。枯れ枝はただいたずらに地べたへと滑り落ち続ける。
 その様子を伺うことがぼくの日課として定着したころ、彼らはついに断念した。
 数日後、向かいの棟のわきに立つ糸杉に出入りするカササギを見つけた。白樺の根元に枯れ枝の山が残った。

 町の社会保険事務所の育児休暇説明会に参加する。半地下の会議室に100人程、男女比率は同等だろうか、いや男性の方が多いかもしれない。小太りで角刈りのおじさんがよく通る声で挨拶を切り出し、プロジェクターでグラフなどを表示しながら話を進める。
 社会保険で保障される育児休暇は、子供が8歳になるまでないし小学校一年生を終了するまでに子供一人当たり480日で、多胎児の場合は子供一人につきプラス180日とのこと。両親が揃っている場合は二分するわけだが、両者の同意によって片方に権利を譲渡できる。ただし最低60日間は保持しなければならない。母親は出産予定日60日前から利用可で、父親も事前の育児講習会に参加するときは申請できる。
 補償額は390日が収入の80%、残りの90日は一律でやや低額に定められている。無職者も定額だ。
 これとは別に臨時休暇の保障が、子供が12歳になるまで年に60日間設けられている。これは子供または通常育児を担当している人が病気になって看護や通院を要する場合などに適用される。
 一通り解説が済むと、次にスウェーデンが世界的に見て如何に育児休暇の保障日数が多いかがグラフで紹介される。そして、一生のうち例えば半年間を育児に費やしたところで一体どれだけキャリアに影響するのか、むしろ子を育てるという人生の大事業に時間を費やすことは意味深いことなのではないか、と力説は続く。
 問題点として加えられたのが男女の利用率の差である。すなわち、育児休暇、臨時育児休暇がそれぞれ2:8と4:6、これを如何に均等に近づけるか。
 男親の育児参加を促す一つの方策として、男親に限り父親休暇として新生児が退院してから60日目までの内の10日間を臨時育児休暇の枠で申請できることになっている。双子の場合は20日。出産の立会いや新生児の世話だけでなく、新生児の兄姉のために休みを取ってもよいのだそうだ。

 破水したのは日曜日の昼下がり、日本から届いたお古の新生児用肌着を大量に洗濯しているときだった。病院に電話して指示を仰ぐ。「慌てずゆっくり仕度を整えて来て下さい」というので、部屋に紐を何本か渡して、小さな衣類で埋め尽くす。まるで祭りでも始まるみたいだった。
 その町の病院には分娩科がなかったから、隣町まで小一時間車を走らせる必要があった。新芽を湛える森がやけにざわついていた。努めて穏やかに運転する。
 そして、本格的な陣痛から12時間の格闘の末、ふたりは誕生した。
 通常出産後5時間から48時間の間に退院すると聞かされていたのだが、幸か不幸か妻が3日、子供達は8日間入院した。双子の片方が輸血と黄疸の治療を受けたのだけど、すこぶる元気で、うちの子たちが泣くと看護士さんは苦笑いしながら「怒ってるわよ」と表現した。心配なのはむしろ座ることもままならない妻の方だった。それでも、入院中に看護士さんたちの赤ん坊の扱い方を見ることができて本当に救われた。

 かつてないほどに慎重に車を運転する。8日しか経っていないはずなのに、森が見違えるほど活き活きと光っている。よく見たら新芽が湧き出ていた。
 我が家に到着してひと段落すると、父親休暇の申請用紙を取り寄せた。

 その年の夏はやけに暑かった。
 赤ちゃんは泣くのが仕事だなどと言うが、だとすればうちの娘達は明らかに仕事の鬼だった。昼夜を問わず、渾身で仕事に打ち込んでいた。
 一方ぼくは父親休暇から継続してさらに一ヶ月育児休暇を頂いた後、日に2時間だけ勤務する生活を送っていた。一日の就労時間の1/4を最小単位として育児休暇を申請できるのだった。
 親方は古い皮革工場跡の一画を借りて家具工房としていた。煉瓦造りの二階建てで、すでに住宅会社に買い上げられて立ち退きを要求されていたが、その家具工房と彼の奥さんの陶芸アトリエの他に、油彩画家とテキスタイル芸術家が砦を固守していた。
 そこに新たな住人が舞い降りた。屋根にカモメが巣を作ったらしいのだ。カモメは海岸に生息するものだと思っていたら、どうやら淡水でもいいらしかった。だから内陸の町でも近くに湖さえあれば、カラスやカササギと混じってゴミを漁ったりしているのだった。親鳥のつんざく声が煉瓦壁に突き刺さり、しばしばぼくらは威嚇行為に悩まされた。
 ある日、雛が屋根から落ちていた。雛といってもすでに立派な体格で、飄々と地べたを歩き回っていた。敷地内にぼくら以外の往来はほとんどなく、裏にはちいさな雑木林もあったから案外心地よさそうにも見えた。気が気でないのは親である。声のけたたましさと飛行での攻撃性は格段に増し、強力な日光に絡み付いていっそう鋭利に感じた。
 かくして雛は見る見る太り、ときどき羽をばたつかせているな、と思っていたらある日を境にはたと見ることがなかった。静寂が地表から浸潤してきて、暑さもひと段落した気がした。

 家に戻るとあいかわらずけたたましく泣いているのは子供達の方だった。妻はいつものように大音響の中で生気を吸い尽くされていた。
 どうやら我が家のひと段落は遠い先の話らしい。「そろそろ4時間勤務に」という提案をぼくは一旦飲み込んで腹の奥に収めた。もうしばらく2時間勤務を続けることにしよう。第一、家を留守にしている時間はなんだかんだ言って4時間くらいになっていた。

 妻には本当に申し訳ないが、この数時間がぼくの精神の命綱でもあった。
 あの不器用なカササギは立派に雛を育てあげたか。

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Columnist Profile
遠藤能範さん
茨城県出身。木工家具職人。
国立高岡短期大学産業造形学科木材工芸専攻及び同大学専攻科産業造形専攻において木材工芸の基礎を学び、特に家具指物(※1)に興味を持つ。1999年に渡端し、造形学校Capellagården(カペラゴーデン)家具指物科にて同分野の技能を深める。三年間の学業の修了とともにスウェーデンマイスター制度におけるgesäll(職人)資格を取得。
卒業後、家具工房WORKS.に勤務し、家具指物マイスターPeter Hellqvist氏に師事。この間半年程パイプオルガン工房Akerman & Lund orgelbyggeri ABに出向する。また、その後は家具製作会社AB Karl Andersson & Sonerに勤務、伝統ある良質量産家具の生産現場で家具職人としての修行を重ね、2006年末に帰国。現在家具工房設立の可能性を模索中。
参加展覧会として、ストックホルム国際家具見本市内カペラゴーデン展覧会の他、「Carl Malmsten med efterföljare」(カール・マルムステンと後継者達展)がある。

※1 木質部材に接合するための仕掛けを施し、組み立ててできた物品。またはその技法。


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